つながり

内田 達也

Tatsuya Uchida

(たっちゃん、ウッチー)

株式会社いかす

SAS(サステナブルアグリカルチャースクール)講師

次世代の農業の根幹を支える専門家。農業に対する根本的な視点や関わり方、そこからの理に適った農法などは、数多くの専門誌に掲載・連載され、講師を務めるスクールへは全国から集まり、創生から10期目を迎える。

株式会社いかす

https://www.icas.jp.net/

たっちゃんはどんな活動をされていますか?

湘南地域(平塚・大磯)でオーガニックお野菜の生産・販売とオーガニックを広げるためのスクール(サステナブル・アグリカルチャースクール)を運営しています。

たっちゃんが大切にしているもの・ことを教えてください。

僕が大切にしていることは、沢山の生命が連動、循環する環境を整えることです。
オーガニックで農業していると、強い薬や肥料などで病気をおさえたり、生育を促進したりすることができません。ゆえに、「他力」に頼らざるを得ないです。

土の中や畑に存在する、たくさんの微生物や小動物・鉱物・植物に至るまで、あらゆる存在の力をつなげていかしていくことが大切になってきます。

作物の中にある本来のポテンシャルが引き出される環境を整え、農地生態系のポテンシャルを最大限にいかし、それをうまくつなげて、連動していくようになると、きれいで美味しくて、たくさん作物が実るようになります。

不思議なんですが、連動していくと、どんどんやることが減っていき、らく~に良いものが育つようになっちゃうんです。

NBW(吉田・豊田)に出会ったきっかけを教えてください

れいちゃん(豊田さん)が僕の主催するSAS(サステナブル・アグリカルチャースクール)に学びに来てくれていて、その縁で、定期的に身体のメンテナンスをかねて相互循環の施術をしてもらっています。今まで受けたどの施術とも違って、もみ返しなどのような副作用もなく、非常に連動性のよい身体になっていくの体感し、感動しています。

ある時、吉田先生というすっごく素敵な人がいるから是非、紹介したいと言われ、吉田先生のワークの体験会に参加させてもらったことをきっかけに、深くて楽しい世界へといざなわれ続けています。

NBWと出会って、どんな気づきがありましたか?

「死ぬ時が最強(一番)」という言葉が衝撃的でした。昔から運動や身体を使うことは得意としていたのですが、40歳を過ぎて、少しづつ筋力、体力の衰えを感じていました。このままだと、死ぬ時が最弱になるなと(笑)

NBWに出会って、今までのように身体を強化していくアプローチではなく、質的に異なるメソッドを教えて頂きました。
からだ全体が連動することによって、ほとんど力をかけることなく、重いものを持つことができるようになったりと物理的な効果もさることながら、身体の状態を認識することによって、日々、たくさんの気づきが起こってくるので、農作業していても、より楽に、より早く、疲れずに作業を行うことができるようになるなど、日々日々、深化と進化が起こってくるようになりました。それがとても楽しいです。

たっちゃんは、これからどんな可能性を見つけて行きたいですか?

オーガニックの畑で起こっていることと、身体の中で起こっていることは、本当に同じだなと思っています。身近なからだや自然を通して、そこにある法則性の奥深さや美しさなどを体感し体得していきたいなと思っています。NBWに出会って、とても良かったのは、一過性の技術やメソッドを学ぶのではなく、自ら認識が深まり、気づきが起こることによって、日々、進化と深化を繰り返すことができるようになったことが最大の財産だなと思います。

NBWとHPをご覧になるみなさんへ、メッセージをお願いします。

「百聞は一見にしかず」といいますが、さらに進んで、実際に足を運んで、からだで体験してみてください。体験したものは、血肉となり変化していきます。

認識が深まるときづきが起こってきます。気づくとさらにシステムが自然と変わってきます。その楽しさをみなさんにも味わってもらいたいです。

では、ここからさらに深堀りさせていただきます。 たっちゃんが農業に興味を持って農業の世界に入った経緯を教えてください

農業の世界に入った経緯ですね。
農業に実際に携わったのは28歳からなんですけど、一番初めにこういう生き方に興味を持ったのは、20歳ぐらいの時に、ネイティブアメリカンの本に出会ったところですね。

「グランドファーザー」っていうインディアンの古老の話。もう亡くなっていらっしゃる方ですが、小さいときから、大自然の環境で生きていく術を身につけて、本当に自然と調和的に暮らしている民族の話がか枯れていました。

その知恵みたいなものが、自分の唯一の弟子にお弟子さんに引き継がれて、その人が本を書ける方だったために、そのエッセンスとか知恵がこの日本にいる僕のところに届いたわけです。それぞれの本気っていうものを大切にする心が、次々に伝播して、こうやって本になって世界に広がっていくって、すごいですよね。

彼(お弟子さん)が大切にしていた、グランドファーザーの認識だと、全てのものが自分と一体であるような状態なので、水と自分の境もないし、空気と自分の境もないし、動物と人間の境がない。

そういうような状態で生きてる人にやっぱり憧れたかな。
実際に自分もそうやって地に足を付けて、大地と共に生きられたらいいなみたいなのが、ふつふつと湧いてきていずれはこういう生き方したいなって。

ただ日本だと狩猟採集するって言ってもね、なかなかで。森もあるんですがみんなが狩猟採集するわけにはいかないから。

ただはたと気づいたのは、そういえばここは瑞穂の国だなと。だから稲作が盛んで、農業がちゃんとこの2000年来、農耕の始まりとともに、大地を砂漠化させずに、ずっと畑ができたりとか田んぼができるように維持管理されてきた。

すごい自然と付き合いのが上手な国だと僕は思っているんだけど、そういう日本の叡智だったりとか知恵みたいなものが、実際にあるんじゃないかなと思って。日本にはもう既にやられてきて、そういう高度に自然と調和してきた歴史がある
じゃないですか。

だったらせっかくこの今の時代、この日本に生まれたんだったら、農業でグランドファーザーが僕に伝えてくれたことっていうのを実現してみても面白いんじゃないかな。みたいなことを思い出したというのがはじめの経緯かな。

グランドファーザーの本に出会ったのは会社にお勤めだった時ですか?

まだ学生だったと思う。20歳ぐらいだからね。

学生の時にその本に出会ってから、一度一般の企業にお勤めされたんですか?

そうですね。
それから学生の時にも既に、有機農家さん回ったりとか、自然農の人のとこ行ったりとか、あとはニンジンから宇宙って本を書いた赤嶺さんっていう人の所にいったり、日本でやってるシュタイナーの共同体の所とかに回ったりとかして。自分はどんな生き方をしたいのかな?みたいなことをずっと思ってました。

いずれ精神性とかもちゃんと兼ね備えた村とか、エコビレッジみたいなものを作りたいなっていう希望だけはあったんだけど、そこに自分はどんなスキルで関わったらいいのか?と思っていて。農業とかで関わって行くと面白いんじゃないかなみたいな漠然とした思いはあったんですね。

ただいきなりエコビレッジ作るって言っても、実力もないので20歳そこらの子には難しいよね。だから社会に出て実力をつけようと思って、人と関わる仕事をまずやりたいなと思いました。

会社へのご縁は、リクナビ(情報誌)を見た時に、

「あ」アクセンチュア
「い」インテリジェンスっていう
あいうえお順で上からエントリーして、インテリジェンスっていうっていう会社が一番返答が早かったんです。

元々人材の会社で人材紹介や派遣、研修とかをやっている、リクルートから分かれている会社さんなんだけど、結構順調に社長面接までいって、決まっちゃって、いいじゃん、ここ楽しそうみたいな感じで行ったのが、インテリジェンスっていうベンチャーの会社でした。

上場したてのいけいけのベンチャー。それは自分にとっては結構試練でもあったね。でも、そこで実際には出会ったのは、今の仕事仲間の白土とかタコちゃんなんだよね。

人生人間万事塞翁が馬って言葉があるけど、なんかそこから二十年近くの時を経てともに会社を起こしていくわけだ。振り返ってみるとここに至るためにあそこで出会ってたんだなっていう。

実はその当時は、僕はそこに居る人間じゃないといつも思ってた。なんで俺こんなにも向かないのに、向かない人間がここにいなきゃいけないだろうって。でもせっかく入ったんだから赤字人材と言われ続けて終わるのが嫌だって思って絶対達成して終わってやると、いつも唱えてました。

上司にぼこぼこに言われるたびに、絶対にできるやってみせる、やってやれないことはない、やらずにできるわけがない、俺はできるってずっと心の中で言ってた。毎日の通勤の時は、その言葉をいつも思ってた。

なんか正直一番つらい時期でしたね。
そんなに鼓舞しなければ保てないってことだから。なんか肩に力が入ってる感じだけど、でもそうやってやりきる経験とかね、朝から晩まで働いてやり切っていくっていう経験を積めたのはすごくよかったなって思う。

そして自分がこの業界には向いてないんだなってこともわかるし。こういう業界に向いてる人たちがいるんだなっていうことを感じられたっていうか
いい意味で諦められた。だから自分は違うところに、もっと自分が向いてるところに行こうっていう風に思えたんだよね。

うちのチームに配属された新人の中の二人は、100人ぐらいいた同期達の中でも抜きん出てワンツーを取るぐらいの人材だった。だから、決して僕の成績が悪かった訳じゃないのかもしれないけど、やっぱりトップワンツー取る奴らと働くという経験をして、いやこれはセンスもあるなと感じました。

もちろん努力すれば何か一定のところまでいるけど、ただ好きでやるとか、センスっていうのもあるから、俺はここで自分のセンスを感じられなかった。だから、早々と自分のセンスのあるところにいきました。

貴重なお話しでした。私からみると、たっちゃんの世界には圧倒的に敵や対立が少ないと感じます。こうなるまでの経験やきっかけがあったら教えてください。

二十歳ぐらいのときかな。こういう道のきっかけになったヒーリングの師匠に出会ったんです。

その人は本当に、いい悪いなんてないんだよ。何でもありなんだよっていうことを
僕に教えてくれた人なんですけど、特に僕はその頃はもう何でもありじゃなくて。
まぁ、捌き倒すみたいなタイプですよね笑

正義感もかなり強いし、喧嘩もしょっちゅうする。喧嘩っ早かった。だからすごく対立構造を作るタイプですよね。瞬間湯沸かし器って言われて。当時は怒りが強くて、許せないことがたくさんありました。

でも徳の高い人に出会うと、何か感じるんですよね。単純に、あっ、この人になりたいなとか。人生の中で、すごい大切なことだと思います。

なんかね怒って強く見せてた自分に対して、師匠はニコニコしてて温かくて誰をも抱擁して。世間的に見たらだめだと思われるような人、罪を犯したような人に対しても、平等に愛を持って接してる。その師匠をメンターにして、こういう人が本当に器の大きい人なんだなって。徳の高い人なんだなっていうことをまじまじと見せつけられるわけですよね。

こういう風になっていきたいなって、この人みたいになっていきたいなって憧れを学生時代に持ちました。そこまで憧れると、僕は張りつきます。その人の言動を徹底的に見るんです。

そうすると色々見えてくる。もちろんすごく人間的な側面も見せてもらうことになるんだ。ある種なんでもありという大切なところを僕に教えてくれたことがこの人との出会いを通して教えていただいた事です。

そしてそのあとやっぱりね、これも本当にラッキーだと僕は思ってて。
初めての農業の師匠はワタワタっていう人でした。とてもこだわりがあるんだけど、研究者として非常に科学的でバランスのいい人です。

例えば、慣行農業と有機農業は、通常対立構造で見てしまうんですね。でもそうじゃないと。全部農業なんだ。それでどんな目的を持ってどういう目的を持つかなんだって教えてくれた。

いろんなテクニックはあるけど、何を目的としているかによって無限の道筋があるってことを教えてくれる訳です。自然を再現するための技術も、状況で無限に道筋っていうのは変わるんだよね。

それが見えた時に、何か正しい・間違ってるって事がある訳じゃなくて、その人にとってはそういう目的がある、その目的を達成するためには、こういう方法を取ってるんだなっていうことが客観的に見えるようになってきた。

そういうワタワタっていう人との出会いだったりとか、あとはもう一人の農業の師匠の山下一穂さんもすごくあったかい人だった。

俯瞰目線で物事を見れる人でした。差異にとらわれずその本質をつかむというのかな。そこのエッセンスは何なんだろうとか、その技術に共通している一番大切なポイントは何なんだろうか、その技術を成り立たせている法則は一体何なんだろうかとかね。そういうのをすごくセンスよく捉えてるような人だったかな。

だから一穂さんも、今以上に有機が追い風じゃない時代で、例え対立構造になったとしても、有機をやってる自分と慣行っていう人たちを敵にしないで、技術の融和を図って、同じ農業としてどうやっていったらより良くなるのかを考えられる人だった。

本質的に長期的な目線で見た時に、どういう農業技術っていうのがこれから大切なんだろうか。それは慣行だろうが有機だろうが多分大切なエッセンスがある。そういったことを追求出来る人でした。

そういう、尊敬する人たちとの出会いが、荒れくれ瞬間湯沸かし器の僕自身が、こういう人になりたいと目指したきっかけです。れいちゃんに少しでもそう見えてたら、それは嬉しいですね。

では最後の質問です。 たっちゃんって、尊敬する先輩、仲間、後輩、そして今までの歴史と何世代も先の未来。色々な存在の間に立っていて、つないでいる方だなって感じます。 その中で、受け継いで、共に育んで、先の世代に継承していきたいと感じている、たっちゃんの「核」は何だと感じますか?

核ね。さっきお話しした先輩たち、その人達って多分見えてる世界が違うんだと思う。なんでそういう圧倒的な技術を組み立てられるか。そこには、共通の何かを持ってると思っていて、それが以前話した「Awe体験」的なことだと思うんだよね。

心の底から感動して止まない、本当に美しいと感じる景色とかが元になっている、ある種の美意識があって。彼らってそれぞれに、常にそのレベルの世界観を持ってるんだよね。だから見えてる世界がすごく美しいんですよ。

その美しい光景だったりとか、美しい世界を実現するためのツールとして、例えば農業をやっている。なんか本当別の次元の美しさを見てる感じがするんだよね。

その美しさみたいなものを垣間見てしまったが故に「あっ、これちょっとずれてるな」とか「これちょっと違う」とかを感じてしまう。そういう部分が高度なセンサーみたいな形で反応してるから、すごく精度の高い選択をしていくんだと思う。

結局は技術云々じゃなく、どんな世界観を持ってるのかじゃないかな。

その美しさや驚きに触れることが、実は一番大切で、それこそ、その美しさ、美しさを感じる事自体が自然の法則・宇宙の法則みたいなものなのかなと思う。法則って僕は美しいものだと思うから。

あのくらげという運動も同じだよね。
身体がこんなにも変化していくことだったりとか、何だか分かんないけどすごく面白いじゃないですか。何なんだろこれって。もちろんメソッドとしての理屈もあるのかもしれないけど、なんかそのときに自分の身体が動いたその感覚だったりとか、垣間見せてもらった世界が自分のセンサーになる。

れいちゃんとの相互循環セッションのときに感じる、奥深い心地よさとかも同じ。なんかそういった圧倒的な体感を通して美しいもの、心地いいものに触れているっていう体験が、すごい大切なんじゃないかなと思ってて。
それが美味しいとか嬉しいとか楽しいとか気持ちいいとか何でもいい。そういうものにどんどん触れていれば、触れてるからこそ、一番本質的なものを選択できるんじゃないかなと思う。

結局そういうものやそういう場所を、どれだけ自分も残せるかかと思う。
例えば美しい畑を見てもらうとか、そこで生まれたものを食べてもらうぐらいなことしかできないかもしれないけど、やっぱりそれを見て感動する人がいてそれからまた発展させる人がいて。僕も本当に感動したからね。一穂さんの畑に。そして食べて更に感動した。

やっぱり感動から伝わるものっていうのがある。
なんか言葉はいっぱい尽くすけど、一番は何か美しいものに触れてもらう事だと思う。だからこそ自分が美しいものを表現していったりとか

そこにある種の細やかさ、時にはその細やかさに気を込めてそれを表現する芸術のように表現していく感覚を、これからも大切にしていきたいなと思います。

その結果何がそこで生まれてくるかっていうのは分からないけど、そこは真摯に自分のできる範囲でやっていきたいなと思うね。なんか別にがんと広げたいとか
そういうのは別にない。結果美しいものが広がっていったらいいなあと。

一穂さんなんは、正にかそういう人だったよね。四万十川の上流の川で遊んだ小さい頃の圧倒的な自然の美しさとか心地よさとかひんやり感とか、ヌルヌル感みたいなものが自分の身体の中にあって、それをやっぱり取り戻したい、あの時の美しい自然を取り戻したい、そういう日本にしたいっていうのは彼の根本の思いだった。僕もそういったところに共感する。

吉田:なんかたっちゃんのお話は、一回聞くよりも二回聞いた方が入ってくるし、深まっていくし聞くタイミングによっても入り方が違いますね。我々は身体を通してそういった深まる体感してもらってますけど、たっちゃんが体験されてきたこととか見てきた景色をもとに出てくるその言葉を聞いてるだけで深まっていくっていうのはすごく面白い。

さっき敵対みたいな話があったけど、身体とかも敵対がなくなるんだと思うね。
なんかNBWとかよっしーとか玲ちゃんものに触れてすごいなと思ったのは、

今までどれだけ強化とかそういったところをやってたのかなって部分。逆に鍛えてるつもりで弱めていたりとか、そうしちゃったんだなと思って。

畑もそうなんだけどどれだけつながりを作るというか、連動をつくるっていうか。つながっちゃうか、連動しちゃうかみたいな。命もどれだけ多くの命がそこに関わっているかなんだよね。

共に動いているかがすごい大切で、なんかそのつながり、循環っていうイメージがいつもあって。あっ、ここ切れちゃってるなとか。

たまに研修生の動きを見てて、違うなって思うのは、
なぜそこで切る?なぜそこで循環を切ってしまうようなことをするんだ?って感じる時。

それは草刈りたいのはわかるよって。でもさ、そこにキャベツの根っこもあったよねって。なんで表面だけ刈ればキャベツの根っこが残ったのに、何でわざわざ深く起こしてしまってキャベツの根っこを切っちゃうんだろう。なぜその命につながる木々を切ろうとするんだと、そういう時は悲しくなる。

どう連なりで連なりを作り続けるか。というか関わり。
例えば植物と土っていうのも、勝手につながり合いを持ってるんで、そこをいかに最小の適切な関わりでそれが循環するイメージをずっと持ちながら関わり続けられるかっていう。

身体でも僕は玲ちゃんの施術を受けながら、ぼーっと畑のことを思ってたりする訳です。不思議だよね。自分のエネルギーを突っ込んでる世界のことを見てたりとかする。そうすると突然閃くんだよね、あっ!って。何を閃いてんのかわかんないけど。

何を閃いてるかわかんないけど、あって閃く。
ほぐそうとするとかじゃなくて、自然と僕の波と玲ちゃんの波が共鳴していってどんどんどんどんそれが深まっていく。その時の心地よさを感じながら相手も感じもちろん玲ちゃんの方も感じながらってやってる。だから、すごい深いところに行けるよね。寝ちゃうことも多いですけど。

でもその深いところというか、その生命の心地よさとか、本質的な生命を捕まえた時の心地よさみたいなもんって、圧倒的な経験なんだと思って。やっぱりそれをどれだけ体感しているか、見えてるかだと思う。どんな世界でもある程度突き詰めていくとそういうところに行くんじゃないかな。

まだ全然表面にしか到達できてないなって自分では思ってるけど、そういう時に、本質的には同じでも、違う表現をしてるその人との出会いはすごく貴重。僕にとってはすごい贅沢な経験です。

あとね、きっとスキルだけを受け取っちゃだめなんだ。スキルはあくまでもそこに到達した人が方便的に出してきたものだから。だから一番大切なのはその人の見てる世界に触れるっていうことなんだよね。

そしたらそこで生まれくる波みたいなものとか、互いに響き合う何かみたいなものもちゃんと感じて、そこに沿っていくっていうか、自然と動いていくというかね。

NBWのワークで、◯と◯の間っていうところをやっていくと、自他がなくなっちゃうでしょ。あの感覚。ああいう小さいけど、大きい気づきみたいなものが何回も何回も増えていくと、多分世界が変わる。世界観が変わってくるんですね。自分の捉えている脳内のイメージ、それこそがすごく大切なんだなと。玲ちゃんとよっしーがやってることとかって、結構やばいよね。

スキルややり方は、一回知識として入れたら=わかったって言えちゃう。
でもそこって実は、全然分からないと感じてて。自分の体験はまだ0ですから。
やればやる程、まだ自分の中に染み込んでない、分かっていていないのが、分かってくる気がする。


分かったと思った瞬間に分からない。やっぱり分かんない。
一体何を分かったつもりになっていたんだろうって。 

たっちゃんが前に言ってくれた、「先達に頂くのは答えじゃなくて問いなんだって」いうのだね。

そう、先輩や先生からもらうのは問いで、後から来る人が答えを出してくれたりする。だから教わることは仮説。自分が教える時も全ては仮説って言ってます。

後から来る人が答えをくれるんですね。

そう。だから新たに生まれてくる人の方が先生だし、子供の方が先生。
我々が残せるのは、問いだけなのかもしれない。

なるほど〜。そこはちょっとまだまだ染み込むのに時間がかかるので、大事にしておきます。たっちゃんから吉田先生に何かありますか?

なんかこうね、そう。今回のホームページもね。
僕らもそうですけど、メソッドだけどメソッドじゃない所を大切にしてるものだから、本当に一番伝わってほしい人に伝わらなかったりとか、マスターして欲しい人にマスターしてもらえなかったりとかあるんだけど、でも本当にそここそが実は一番大切なところで。

僕もいつもそれを伝えようと色々言っては見るものの、そこをセンスよくやっていく人ってなかなかいないなと思っていて。逆に全然農業はできないんだけど、例えば卒業生の中でも玲ちゃんの方が自分の分野に生かしたりする。

だからこれ面白いなと思って。畑の中の話を、違う対象を通して、同じような世界観で共有してるわけ。本当はそれでいいんだと思うんだけどね。

また一年後二年後三年後、ひょっとしたら十年後、全然違うこと言ってたりとかするから。全部か仮説で過程でまた、違う気付きのところにきっといるんだと思うんです。

なんかきっと僕ら同じような世代で、前にいた天才たち。そしてこれからこれから出会うだろう、これから生まれくるであろう天才たちの中で、僕らができることは
つないでいく事。それが役割なのかもしれないしね。

天才と天才の間。
なるほど。


わからないよ。そういう天才。つなぐ天才なのかも知れない。僕は世代的には天秤座世代って言われてて、完全につなぎ世代。

でもさ、森でもそうなんだけど、主役は木に見えるじゃない。ブナとか。
でも実は本当に森をつないでたりするのは、きのこだったりとかわけで。菌根菌みたいなの。なぜかって言うと、違う植物の根と根をつないでるんだよね。

同じブナでも、強いブナもあれば弱いブナもある。
特にそのブナっていう種類は、集団で一つのブナみたいなところがあるから、だから強いブナと弱いブナがあったら、強いやつらが弱いやつに必ず分け与えるんだよね。根っこで。その根っこで分け与える時にその仲介役とかつなぎ役をしてくれるのがきのこ。まるでインターネット。

網の目のように森中に菌糸を張ってるからこそ、こいつ弱い、弱ってるよって情報が何らかの伝達でやり取りされる。後はここの養分が余ってるから、こっちに持っていけるよ。弱いやつに持っていけるよ。という形で即座的に運べるんだよね。
ていうのは…って、何を言おうとしたか忘れちゃった。

また次回にしましょう。ありがとうございました。

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