こんにちは、NBWの豊田です。
突然ですが、最近
体感言語と思考言語があるな〜と感じます。
検索しても、そういった概念や定義しているものが見つからなかったので、ここはトヨダ語として気ままに解説を始めてみます。
体感から or 思考から
体感言語は、体感したことをそのまま言語化しているもの。生命に直結するもの。
思考言語は、程度はあれど、
体感から離れた部分で組み立てられ、その後に体感が追従、または体感とは分離し続けるもの。さほど生命に影響のない場面。
どちらか一方でもはなく、
両方日々使っている中で、その人独特の割合や、分野によっての濃淡があると感じます。
思考が優位
ただ身体は正直です。
例え綺麗な文章や話し言葉でも、思考が優位な表現には
「あ、その人の中の真実(深層)じゃない」
という違和感を感じます。
そして、身体への影響も止まります。
そんな時ほど発信側には、なんらかの補足が増える気がします。
間が耐えられないあの感じです。
体感が優位
一方、体感が優位な表現は、
例え稚拙でも、言語表現に至らない擬音語の連続でも、まどろこしい説明が並んでも、
なぜか伝わる不思議さがあります。
湧き出るボリュームに、
言語が追いつかない感覚です。
絶妙なバランス
さらに感覚を元に自分の中で深め、思考・体感共に何重にも重ねたものは、
その時に必要最低限の絶妙なバランスとなって表現されている様に見えます。
そういった美しさには惚れ惚れします。
紡ぎ出されるもの
これは言語だけでなく、さまざまな表現、
アートや料理、仕事や日常的な作業の、あらゆるもので同じではと感じます。
一概には言えないかもしれませんが、
思考言語→体感言語→絶妙な表現
言葉は、その人から紡ぎ出されるもの。
生命力や、経験値、自分への向き不向きを表している、指標の1つかもしれません。
検証は続く。。。