体感からの仮説。
体温についてです。
こんにちは。NBWの豊田です。
寒くなってきました。
「温活」という言葉、
今年も耳にする季節になりました。
昨今、体温アップにとって
「筋肉量」や「運動量」が重視されることが多くなってきましたが、
はて、本当にそうだろうか?
と思うこの頃です。
運動しても、そこまでは
筋肉量が体温に影響を与えない訳ではないけど
一概に増やせば上がるとも思えません。
そう感じる理由は
運動量、筋量共に人一倍あった競技時代。
20代からの平熱35度台は特に変わらず、
37度を目指しては
必要以上の熱を下げる身体を肌身に感じてきたからです。
人のもつ恒常性の代表とも言える「体温」。
もっと大きな力が働いている気がします。
もっと根本的な視点がある気がします。
熱の元は何か?
結論から申しますと、
体温の熱のもとは、身体に住む生命体の営み。
その生命たちの
生きやすさに比例するのではないかと思います。
私たちの身体の細胞は37兆個。
そして、体表面+体内の生き物の数は110兆個を超えると言われています。
もはやどちらが主役かわかりません。
37兆個の私は土壌として、
110兆を超える生命の営みために存在してるとも見えます。
確かに、
・カブトムシの幼虫が育つ落ち葉堆肥
・土の中の冬の温かさ
・酵素風呂の熱
などのあの温かさ。
これらは正に
それぞれの土壌に住んでいる
生命体の熱量だと感じます。
筋トレや運動が直結しない理由
そもそも生命は環境に生きるので、
環境下の身体にとっての必要を無視した
自分本位の行動は、いろいろと的外れになる気がします。
私の「体温37度大作戦」も
その当時の状況や環境をそのままに、アプローチを先行したもの。
筋トレや運動、温熱療法。
一時的には影響しつつも、
結局は
環境・身体に沿ったバランスに戻っていたと思います。
生命体も
増える環境や度量があれば増えるし、
今は増えて都合が悪ければ、増えないシンプルさがあります。
その環境も
多くの影響の上に成り立っているものです。
言ってしまえば
思うようにはならない壮大さがあります。
その代表が
実は身体だと思います。
思うようにならないから
身体は思うようにはなりません。
たくさんの生命の集合体ですから。
でも実は、管理のない中で
常に互いにバランスをとり合い続けている世界って、すごいです。
そこに立ち返ると
視点がクルッと変わる気がします。
体温を上げようとしていた当時の自分には、
「バランスをとり続けている身体」
という視点がありませんでした。
自然の流れの中で、生きられる力。
こうしたい!
と動く前の、今を視る力。
そこを出発点として捉えて、
考え、進む力。
身体の温かさも、ここからだな〜と。
さすれば、
筋トレも運動も有効に使える。
世の中の全てがマイナスにならないと思います。
体温アップの有効策は
最終的に、体温アップへの有効策は…
寒い・暑いと感じたときに
目についたあらゆることを試してみる
身体の快・不快を
1つ1つ受け取ってみる
シンプルすぎますが、
これだな〜と思いました。