みなさんこんにちは、NBWの豊田です。
突然ですが、夢リスト100やヴィジョンボードなる存在、ご存じでしょうか?
叶えたい夢や、やりたいことを100個書いて、できるだけ写真等のビジュアルも含めて1枚のボードに貼り付けて作品にしていくものなのですが…
実は私、とても苦手です。
職場でその課題を経験した数年後、
とある書く系のワークで、自分の中の価値観が大きく変わった経験をしました。
今日はその時のお話です。
100個なんて、書けない〜
私は自分の身体を通した違和感と心地よさを行動のベースにすることが苦手でした。
そんな私が叶えたい夢を100個描こうとするとどうなるかというと、出てこないんです。
行動の元が、他者の価値観や評価だったので、自信を持って「これをしたい」が出ない。
周囲で良いと言われるものと、自分の中から湧き上がるものの違いがわからず、影響力のある方の価値観がそのまま自分の判断基準になっていました。
最終的に、その時の環境で喜ばれる内容の中の平均値以上の「理想」を集めていたと思います。
でもそれが、冒頭でお話しした「とある書く系ワーク」で、なるほど!の経験に変わりました。
メモ帳とペン
どんなワークだったかというと、「やったことを書く」というものです。
過去実践したことのある、レコーディングや練習記録ともちょっと感覚が違います。
ジャンルや大小問わず「した」と認識できたものを片っ端から書くだけで、細かく書ける事が良いという訳でもなく、自分が気づいたらただ書いていきます。
その実践で知ったのは、自分の中にある
これ以上のレベルは「やったこと」、それ以下は「含まず」という基準値の存在です。
やったことと認識できるレベルの物差しはさまざまで、
・影響力
・大変さ
・数、継続数
・レアリティ
・対価
などが挙げられると思います。
上記の物差しで日常の「やったこと」を記そうとすると書くことがなく、何か特別なことをしないと、ノートが真っ白になってしまいます。
日頃自然とやっていることは、書ける事として候補にも上がらない。
一定以上の成果や、前回を上回らない自分は「ダメ」だったんですよね。
まさかの出来事
「やったことをただ書く」を続けたある時、「歩いた」と書きました。
その時急に、日本代表としてパフォーマンスをするため舞台へ上がった1歩も、その時ランチを食べに行くために玄関から出た1歩も、同等の「1歩歩いた」という表記になる事に気づきました。
メモ帳の上では同じ存在として並ぶわけです。
衝撃でした。
あんなに耐えて、みんなからの応援をいただいて、頑張った末の1歩と、この1歩が同じ?まさか!?
「より速く、遠くに、たくさん」の基準、それまでの価値観はガラガラと崩壊していきました。
ここから広がる世界
そこから、ひたすら額面通りの「今やったこと」を認識し続けました。
すると、卑下でも理想でも見栄でもない「現在地」が少しずつ見えてきました。
その結果、今「やりたいこと」が見えてきました。
結局100個の夢の課題は今でも難しい気がしますが、代わりに、今やりたいことを重ねた先の景色を、100の表現で表すことは、いつかできる気がしています。
でもやっぱり100個も言語化するのは難しいかな〜、ま、1つずつ。
出来ない自分ができるように頑張る経験も尊いと思います。
そんな時間を経てきた今は、今すでにしている事から1つずつ見つけていく世界が好きです。