こんにちは。NBWの豊田です。
今回は「やりたいことの階層」についてお話しします。
やる気に満ち溢れている眩しさ
これといってやりたいことがない。
やりたい事があっていいな〜。
生きがいや、やりがいが目に見える人が
どこか輝いて眩しく見える昨今ですが
やりたいことって、
ある無いの前に、階層がある気がします。
それは、
やりたい気持ちの純度や高低という話ではなく、
「どんな自分のモードの時」に出てくる世界観か。
という部分です。
今回の体験から、自分の現在地と、
やりがいと捉えている階層にギャップがあると、ちょっと苦しくなるのでは?
と感じました。
何かのヒントとなれば嬉しいです。
満ち溢れる時
おりゃ〜って何かが満ち溢れている時。
そんな時に描けるやりたい事って、意味あって期間限定だと思います。
学生時代の部活動、社会人の1年目、新しい学びをした時などが、その部類だと思います。
悲しみの跡
悲しみや悔しさって、
自分にとっての大切な部分の裏側であることが多いです。
だから、その後は熱い何かが燃える。
きっと深く刻まれた経験から、自分の価値観が形成されていくのだと感じます。
生命との対面
大病を患ったり、生死の境の経験のある方には、どこか今この瞬間を生きる強さや輝きを感じます。
私は実際にこの経験はありませんが、
「もしも」という設定で自分の深い部分から湧き出るもの、それ以外のものが除外された核を感じた事があります。
これによって1つの道しるべ、進む方向性が示された気がします。
3つを経て
これはあくまで現時点での感覚なのですが、
その3つの体感を経て出会えるものがある気がします。
その新しい感覚とは、
日常の穏やかさと共に存在できる、やりたいことです。
洗濯物のとなり
私は洗濯が好きなのですが、
洗濯物を干している時に、
「この洗濯物干しと同じテンションで、やりたいと感じられること」の存在に気づき始めました。
これに関しては、
感情やコンディションなどの、やりたいことへのアクセス条件がほぼ無いんです。
いつも思いふけってるし、いつでも作業に入れる。
かといって、
日々の洗濯物の時間を犠牲にしないでいられる。
好きとやりたいの共存。
すごく不思議な感覚です。
鼓動のような
そして、日常の穏やかさと共存できるからか、
ずっと続いてるんですよね。
それを考えることが、
飽きもしないし、特段きらめきもしない。
でも、心臓の鼓動みたいな、
密かなワクワクがずっと続いてるんです。
これは本当に不思議。
身体コミュニケーションに出会ってから、
また1つ面白い体感・展開が始まりました。