こんにちは。NBWの豊田です。
今回は、自分の身体との関わりはすべての縮図だな〜と思ったお話しです。
自分の身体への関わり方
健康志向の広がりと共に、トレーニングやセルフケアという言葉も多くの方に馴染みのあるものとなり、今では私の親の世代の方までも、トレーニングとセルフケアに取り組んでいるのを見かけます。
この様に自分に関わる時間が増えた時、
自分が身体に対してどう関わっているか?という視点を持ってみると面白いと思います。
私の中の2つの存在
NBWでお伝えしている、身体コミュニケーションWSでは、私という存在を「自分」と「身体」の2者に分けて捉えてみるということがポイントです。
私も競技者時代からとことん身体に向き合い続けてきました。
でもその時の身体との関係性どんなだったかな〜と思い返してみると、
・自分の掲げた目標へ向かって、私のプラン通りに一緒に進むのが当然。
・ケアも食事も素晴らしいものを提供しているから不満があるなんて思いもせず。
・動けなくなった時には、身体ではなく、外の専門家に意見を伺う。
・更に勉強して仕入れてきた、良かれと思った対処法を駆使して関わりまくって、
・私が身体を引き上げてあげようとしていたと思います。
これ、よくドラマで描かれる、
積極的に関わる大人と困る子どもの様子に似てるな〜と思いました。
そこまで関わりが深くない存在には、意識的に本人の選択を尊重して振る舞えるのですが、自分に近い存在ほど、その最たる「自分の身体」との間においては、難しいかもしれません。
コミュニケーション方法も非言語ですしね。
あれ?同じかもしれない…
そこからよーく考察してみると、
周囲の人間関係でも似た様な状況だったな〜と思うんです。
近しい関係性ほど、親身になるほど全力で関わりますが、コントロールや期待も及ぶ。
その後の責任も負おうとするので、結果どんどん依存させてしまう上に、自分もその必要性に依存する。
これはなんか違うぞと感じ、一方的に距離を置く。
その辺りを噛み締めてからは、
そうならない様な距離を事前に意識的に置くことが、その時の精一杯の対処法でした。
だから、あるところ以上の関係性の構築がとても難しかったです。
でもその原因はとてもシンプルで、自分の身体との関係性が一方的だったからなんですよね。
わからないことは、尋ねる
今は何をするときも「身体としてはどうだろう?」と、動く前の時間を持てる様になりました。
自分の身体とのコミュニケーションは、どんな時でも出来るし、関わり慣れてはいるので、どんどんコミュニケーション経験を積んでいくことができています。
「自分がいいなと思っても、身体が同じとは限らない」という実体験から、
互いの間の提案をたくさん実践してます。
特に良い練習になっているのは、食事です。自分も主張するし、身体の反応も顕著。
そういった感覚を自分の中で育めると、
他者との間にも、分からない不安から思い通りにコントロールしたがっている自分の癖が見えてきました。
そこからは失敗もしながら1つ1つ経験です。
「自分と相手はそもそも違う。自分の身体ですらそうなんだから、相手に聞いてみないとわからなくて当然」という前提から関われる様になりました。
その実践の積み重ねで、今までは見えなかった自分のさまざまな癖も認識できる様になり、
互いにとってのちょうど良さを選べる様になってきた気がします。
身体も組織、相互関係の中の存在
昔から身体への興味と共に、組織や関係論への関心がありましたが、実はこの2つは、とても近い題材なのかもと感じてます。
いつも大切なヒントをくれる、畑の学校、たっちゃんの世界も、まさに生き物の関係性で豊かになる世界。身体を通して見つけていきたい世界そのものです。
ご縁あって、このタイミングで身体コミュニケーションWSのお伝えさせている理由の1つは、私自身がこれをきっかけに大きな変化を実感しているからだと思います。
まだまだ道半ば、きっとどこまでもそうだと思いますが、この人生で、尽きない面白さに出会えたことはとても有難いです。