日々のこと

トレーニングの可能性

日々のこと

こんにちは。NBWの豊田です。

今回はウェイトトレーニングの可能性、
やっぱりトレーニングも悪じゃなかった!についてのお話です。

キングオブトレーニング


一括りにトレーニングと言っても、目的によって組み立て方は千差万別です。

そんな中でもバーベルスクワットは、キングオブトレーニングとも言われていて、競技者の多くが1度は実践するトレーニングの1つかと思います。

ちなみに私はウェイトトレーニングの中で一番好きです。

一般的なバーベルスクワットは、
バーの真ん中に立って、首根っこ〜肩に担いで、腰〜肩幅に足を均等に開いて屈伸をするのですが、

今回経験したのは、「左右非対称」のフォームでした。
担ぐ位置も、足の開きも、前後位置も、全部が非対称。

もし以前の私がこれをやっている方を見かけたら、
「危ないです!」って注意してしまうんじゃないかと思います。

実際、このフォームに決まった時も、
危ないんじゃないか?身体歪んじゃうんじゃないか?と、
経験と常識からたくさんの心配をしましたし、1レップ目に入る時は結構ドキドキしました。

左右対称・非対称の世界観

ウェイトトレーニングの世界って、基本的に左右対称です。

意図的に不安定さを工夫することはありますが、想定内の安全さが前提にあることが多いと思います。だから「追い込み」も成り立つと思います。

そもそも真ん中から同じ長さ・重さの器具が揃っていますしね。

一方、武術や芸術、より自然に近い場所には左右対称物ってまず無くて、それこそ畑作業は、不安定や想定外の連続に対する適応。逆に極力省エネを重視すると思います。

では今回の体験は?というと、
そのどちらでもない、この20年で初めて感じたものでした。

わぁーーーーーーー!!!!!


左右非対称スクワット、どんな感覚だったかというと、

しゃがんだ瞬間に、わーーーーーーー!!!と声が上がり、
たった数レップスで身体が!感覚が!動きが!こんなに激変する??と、驚きを飛び越したものでした。

効いてる感や達成感、逆に省エネ感でもない
何かが身体の中から湧き上がって、

「こうやって動きたい!」「この動きはどう変化しているだろう?」と、発展が止まりませんでした

もしこれで今すぐにプレーに入れたら、どんな事になるだろう!と、興奮は数日続きました。

明確なテーマの大切さ


この経験で一番感じたことは、
一般的な左右対称への疑問ではなく

テーマが明確であることの大切さです。

今の私のテーマが、ある方向性で明確だったから、
ここまで具体的かつ想定外の経験が出来たと思います。

今回は、30kg×3reps×1setだけで終わり。
これも危ないから低重量・低回数に抑えたわけではなく、
この時の最適だったんだと思います。

確かに必要十分な気づきがあり、それ以上は今はいらないと感じました。


しかし当時の私もそうでしたが、
誰もがいつも明確なテーマに気づけている状況ではないと思います。

「優勝」や「もっと思い通りの動きを」とは言えていたかもしれませんが、その当時から、もっと奥に大切なテーマがあったはずです。

そこに照らし合わせると、すべての判断や結論が変わります。

まだはっきりしない「何となく」の感覚だとしても、
なぜその行動・選択に至ったのか?に向き合ってみると、そこには大抵、今後につながる大切なヒントがあります。

「しない」は、「する」と同等の価値


今回の様に、自分の中が明確になると、
何かを「すること」と同様に、それらを「しないこと」にも大切な意味があることを知ります。

すると、自分でコーディネートできるようになって、今いらないものも見えてくる。

同時に1人では「分からない」事があることにも納得で、他者や専門家を頼る事ができます。

日常の影響の大きさ


こういった特別な時間を通して、自分に向き合う練習ができると、その時間を越えて、日常(衣食住)の選択にも変化がでてきます。

その結果、日常を非日常レベルに無理やり引き上げる頑張り方ではなく、

日常・トレーニング・試合という一見別々の時間が、共通する大切なテーマでつながって、自然と影響を与え合う関係性になります。

日常で向き合い続けているからこそ、特別な時間にも大きな変化が出ます。

いつまでも、誰にでもできるもの


ちなみに今の私のテーマは
「生き物として本来備わっている働き、動き、能力」

老いてなくなる、出来なくなるものじゃなく、
「アスリートから高齢者、病床の方、別の生き物にまで、共通しているもの」です。

これは、アスリートにも十分有効で、引退をしても衰えず、病の時にも取り組めて、人間だけでなく、他の生き物にも通ずるもの。生命の共通点だと感じます。

ここが自分の中で明確になったら、不思議なことに、トレーニングが悪ではなく、トレーニング環境だから気づけるものがあると思いました。

散歩、仕事、運転、お昼寝、家事、
向き不向きはありますが、特別な時間も日常の時間も、すべてがツールで気づきの場だったんですよね。

大切なのは「何をするか」じゃなく、「する・しない」に至るまでの経緯

どんな自分でツールに向き合えるか

最後に、仲間にサポートをもらいながらも、
自分と身体にとって必要な「これ」を選べる力だと思いました。


それぞれの環境、1人1人に特徴があります。
私では見つけられない事もたくさんあって、それは誰かが見つけてくれます。

常に万能な物や、誰よりも優秀な人なんて居なくて、悪いものも1つもないんですね。

それぞれが、今必要なものを安心して選べることなんだなーと。

これが、今回のウェイトトレーニングからの気づき、広がった可能性でした。

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