日々のこと

第7章 間に合わなかった人がいるから、伝え続ける

吉田雅人の身体が教えてくれること

母のこと

この章では、わたしにとって、いちばん大切な話をします。

2015年12月、母が膵臓がんで亡くなりました。

母は、わたしの人生にずっと寄り添ってくれた人でした。

幼稚園の走り縄跳びの練習に、文句ひとつ言わず付き合ってくれたのも母でした。

15歳でわたしが右肩を痛めてからは、一緒に病院についてきてくれました。

わたしが施術を学び始めたときには、受け役になってくれました。

基本的に怒ることはなく、わたしがやりたいようにさせてくれた人でした。

その母が、がんになり、やがて寝たきりになりました。


何も、できなかった

そのときのわたしは、すでに10年以上、身体の道を歩いていました。

日本を代表する選手にも喜んでもらえるようになっていました。

「身体からのアプローチで、人の可能性は無限大だ」と、確信を持って活動していました。

それなのに、

寝たきりになった母に対して、わたしは、どうすることもできませんでした。

可能性を感じ続けてきた身体へのアプローチが、いちばん力になりたい人に、届かなかったのです。

母を見送ったあと、わたしの中に残ったのは、ひとつの問いでした。

「がんが発覚した日に戻れたとしたら、自分に何ができただろう?」

わたしは、母からの命の授業として受け取りました。

動ける人だったら、これまでのアプローチで対応できる。

でも、寝たきりになった人には? 動くことすらできない人には?

トップアスリートから高齢者まで、と言ってきたけれど、わたしはまだ、本当の意味で「すべての人」に届くものを持っていなかったのです。


服だったら、あの日の母にも

母を見送る過程で、わたしが痛感していたことがあります。

施術のような外からのアプローチは、たしかに一時的に良くなることがあります。

でも、病気の進行スピードには、敵わなかった。

外から何かをしてあげる、という形には、限界があったのです。

必要なのは、本人の内なる力が発動すること

でも、動けない人に、それをどうやって届ければいいのか。

答えの出ないまま、月日が流れました。

2017年2月。
母が亡くなって1年と少し経ったころ、ふと、あるアイデアが閃きました。

実際にやってみると、身体に明らかな変化がありました。

その体感をもとに、さらに探究を進めていく中で、氣づいたのです。

これが服に加工された状態だったら、寝たきりになった母でも、無理なく使ってもらえたのではないか。

運動はできなくても。 意識して何かをする力が残っていなくても。 人は毎日、服を着ています。

しかも、です。

特別な服を新しく身につけてもらうのではなく、普段着ている服にも加工ができたとしたら。

人によっては、特別な服は「いつもと違う」というだけでストレスになることがあります。

でも、いつもの服のままなら、日常の延長で、ストレスなく、内なる力の発動を実感してもらえる。

この閃きの瞬間、それまで歩いてきたすべてが、つながりました。

これだったら、あの日の母にも、希望が持てた。

そこから、開発が始まりました。

そして後日、完成したシャツを着た難病指定の方が、コルセットを外して、自分の足で歩いたのです。

その姿を見たとき、わたしの中で、幼稚園の運動会の日と、母の顔と、目の前の光景が、ひとつにつながりました。

できなかったことが、できるようになる。 それを、まわりの人が一緒に喜ぶ。

わたしがこの活動を続ける理由は、すべてここにあります。


間に合わなかったから、伝え続ける

母には、間に合いませんでした。

でも、あなたには、間に合うかもしれません。 あなたの大切な人には、間に合うかもしれません。

だからわたしは、この物語を書いています。

痛みや不調を「歳のせい」「仕方ない」と諦めている人へ。 大切な人の力になりたいと願っている人へ。

あなたの身体には、まだ残り95%の可能性が眠っています。

それは、何歳からでも、どんな状態からでも、目を覚まします。


今日からできる小さな一歩

もしあなたに、身体のことで力になりたい大切な人がいるなら、その人に何かを「してあげる」前に、まず、あなた自身の身体と仲良くなることから始めてください。

あなたが体感したものだけが、本当の意味で、人に届きます。

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